「釣りの何が一番楽しいことだったかな。」
ふとそんなことをたまに考える事があった。
私は生まれた時から「釣り」は身近にあった。
むしろ釣りをする事が当たり前の環境で育ったからだ。
3歳で竿を握って今に至るがしいて言えばすぐ入渓できるところに赤ちゃんの私と母を乗せた車を停め、釣りをしている父親を待つというような事も我が家のお出かけだったと母はいう。
それだけ身近な「釣り」に対してもたまに疑問を持つ事もある。
そんなある日、気分転換でたまに行く本屋で見た一冊の本の言葉が目に入った。
「川時間」を楽しむ釣りへ
「川時間」この言葉にハッとした。
ここ数年釣り雑誌を買うのをやめていたのに思わず釣り雑誌のコーナーに近づいてしまった。
SNSでそういえばこういう本があるというのを紹介してる方がいたな・・・と思い出しそのまま手に取った本が
「RIVER-WALK vol.2」
この本だった。
私の若いころはそんなにインターネットが普及しておらず情報を集めるのは雑誌や新聞や釣り具屋だったが、近年の雑誌は釣りの本であっても写真が「魚」ではなく「人」が中心になっていることが多くどうしても「見たい」という気持ちにならなかった。
魚の写真が見たいならばインターネットやSNSの方が見たい写真が見れた。
だからどうしても雑誌を買う気持ちにはなれなかった。
でも表紙も魚の写真ではないのにこの雑誌は「川時間」という言葉で一瞬で見たいと思った。
すぐ購入し、家で本を早速読む事にした。
本を開いた瞬間に美しい渓魚の写真に目を奪われた。
一枚一枚の写真に命を感じる。
それと同時に自分が今まで釣ってきた渓魚や見た景色がリンクする。
「あの川の魚はこういう魚だった。渓相はこうだったな」
その時気づいた。
「川時間」とは何か。
私の「釣り」というものは魚を釣るばかりではなく、そこにある草木、野生動物、水の色、空を見る事、匂い。
そういうものを楽しむ事でもあった。
地元では見られない風景や魚を探しに遠征に行ってみたり、そこにある植物の写真を撮ってみたり。
大きい石があったらそれに上ってみたり。
空を眺めてみたり。
最近の私は大きい魚や単に魚を釣ることを楽しんではいたがその川にある「当たり前の景色」を楽しむ事を忘れがちだったのかもしれない。
ページをめくるごとにわくわくする気持ちがこみ上げて来てページをめくる手が止まらない。
そして一枚のヒグマの写真を見た瞬間手が止まった。
それと同時にあの「臭い」が鼻をかすめた気がした。
ヒグマに遭遇する前に感じるあの「獣臭」だ。
そしてあの息遣いを思い出す。
渓流歴はもう何十年にもなるが、私はヒグマとはちょっとした縁がある。
これはまた違う機会にブログに書こうと思わせてくれる写真だった。
そしてそんな気持ちにさせてくれる本だった。
それからも何度も繰り返しRIVER-WALKを読んだ。
その後vol.3も購入し読んだ。
とにかく渓流が好きな自分の原点を考えさせてくれる写真と言葉。
そこの主役は人間ではなく「川」である。
「川時間を楽しむ」ということについて写真家の方々が何を見て何を伝え、何を感じて欲しいのか写真1枚ずつで伝わってくる。
テンカラもフライもルアーも「川時間」を楽しむ事に変わりはない。
そのついでに山菜を採ったり、動物を見たりするのも大切な「川時間」
乱獲ではない限り、渓魚を持ち帰り食す事も「川時間」を思い出すいいことだとも思った。
何より渓流釣りの楽しみ方がたくさんあることや、そのフィールドにある「当たり前の景色」の「尊さ」を考えさせてくれる。
魚の美しさやこういう写真を残したいという発想もできたし、何よりこんなに自然が主体の本は今までになかったと思う。
ネットでは見られないような描写の写真もある。
全国的な渓流解禁まであと少し。
ぜひRIVER-WALKを読んで「川時間」を改めて楽しんでみて欲しい。
今までにない世界がまた広がるかもしれない。
「釣りの何が一番楽しいことだったかな。」
私の答えは「川時間を楽しむ事」これが答えだったようだ。
今年のシーズンは素敵な釣行になるだろう。
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